- 原句は【しぐるるや落葉松林小夜更けて】でした。
- 原句は【十二月八日雲ひとつなき空仰ぐ】でした。
- 原句は【湯豆腐のゆれてくずれて平和かな】でした。
- 原句は【寄鍋や二人で共に五十年】でした。
- 原句は【ほっかほか焼き芋包む小さき手】でした。
- 原句は【冬あかね朱色広がる筑波山】でした。
- 原句は【花にうた詩に花あり月冴ゆる】でした。
- 原句は【読みさしの古今和歌集去年今年】でした。
- 原句は【去年今年よき師よき友よき俳句】でした。
[ 鷹一羽奥多摩の空ひとりじめ ]
[大森理恵先生の御選評]
愛鳥家さんらしい素敵でダイナミックな一句ですね.
奥多摩の冬空を独り占めしていた孤高の鷹をタイミングを見てシャッターチャンスを撮られた御写真と俳句がピッタリです.
中七からの措辞の『奥多摩の空ひとりじめ』の表現に臨時感溢れる一羽の鷹の様子が具象的に表現されています。
昨日の『鷲』と『諏訪湖畔』そして今日の『鷹』と『奥多摩』両句共に冬の一羽の大きな立派な鳥と地名とが抜群に効いていてそれぞれの措辞の表現が見事に優れています。 この句と昨日の作品は文句なしに格調の高い特選句に近い秀逸作品です。
[隼をはやぶさと知る速さかな ]
[大森理恵先生の御選評]
この選評は非常に難しい!何故かと言えば感覚句であるからだ!それぞれの鑑賞も違ってくる。季語の【隼】は世界最速の鳥。これが飛翔しているのを見て、作者は感動されたのだが。
この作品はリズムとリフレインが効いている。そして何より【言葉は平明に想いは深く】なので私の説明よりも読者の感性で捉えてほしい。この作品はふと出来たのであろう!作者にも説明しがたい一句である。️理由がなくても惹かれる作品はある。
[ 風はらみ鷲一羽舞ふ諏訪湖畔 ]
[大森理恵先生の御選評]
さすがの作品である。
ともかく、この作者の俳句は格調が高く品格がある。特に鳥の句は素晴らしい。それと地名を詠むのも的確。
上に書き込みされているように私は作者により鳥の季語には、かなり詳しくなった。 この作品の上五の措辞の『風はらみ』と下五の地名『諏訪湖畔』の地名が抜群に効いている。
この一句も【立て句】と言う。秀逸作品であるが特選句に近い一句。
[ 冬木瓜の赤あり白あり日暮れあり ]
[大森理恵先生の御選評]
この【冬木瓜】は『あり』が三回も続いてリズムがとても、軽くてて良いです。(一句の中にリフレインが最低二つあれば必ず、リズムが良くなります)
【冬木瓜の赤あり白あり日暮あり】は覚えやすい作品です。 見事に【言葉は平明に想いは深く】俳句と熱心に対峙される作者は日々、色々と真摯に向き合っておられます。
最近は体調も、あまり優れなくても俳句=生き方がとても前向きです。素直で何事も努力家の彼女は、きっとこれからもレパートリーに飛んだ楽しい俳句をご披露してくださるであろうと期待しています! 【冬木瓜】を詠んだ楽しく可愛いい特選句。
[ 光差すおしどり屏風絵のごとし ]
[ ほろほろと木の葉舞ふ径散歩径 ]
[ 夕闇に白き小さき花八手 ]
[ 言葉なく夫と仰ぐや冬木立 ]
[ しぐるるや響く琴の音小夜更けて ]
[大森理恵先生の御選評]
原句の【落葉松林小夜更けて】は作者が【小夜更けて】が使いたかったと思ったが【小夜更けて】は短歌に良くある文語体である。だんだんと夜が更けてゆくことを言う。
この【小夜更けて】に対しての語彙、【落葉松林】では音がなくて季語とのマッチングがあまり良くないので作者が昔から好きだった【琴の音】を使った。これにより【しぐるるや】により琴の音色がだんだんと夜更けになり凛と際立って来て映像の復元ができて季語が冴える。作者らしい格調の高い美しい一句となった。
[ 明日散るや銀杏並木を夫と行く ]
[ 小さき鳥一羽とまりて冬木立 ]
[ 山帰来赤き実ひとつ山眠る ]
[ 開戦の日の雲ひとつなき空仰ぐ ]
[大森理恵先生の御選評]
12月8日は俳人にとっては色々な忌日である。『義士の日』『レノンの忌』そして『開戦記念の日』
今から82年前の1941年12月8日午前3時19分、日本軍がハワイ・オアフ島の真珠湾のアメリカ軍基地を奇襲攻撃して、これが世界を変えた太平洋戦争の始まりだった。
今日の空は雲ひとつない冬青空。このような作品を感覚句と言って、かなり難しい‼️(我々は忌日句は俳句を学んでから10年は作句は御法度とされていた。なので私は6歳から句座に入り忌日句を許されたのは16歳の頃)が、今回のこの一句の措辞は今の日本の平和を実にお見事に象徴している。
戦争は二度としてはいけない‼️‼️人が人を殺めることは実に哀しいことで何より悲惨な事実である。だからこそ、この作品の『雲ひとつなき空仰ぐ』がとても平和に思える。 開戦日に添削しての超特選句である。
[ 冬青空はじきたくなる青さかな ]
[大森理恵先生の御選評]
この句を初見で見た時にはかなり驚きました。これは典型的な【一句一章】の作品と言います。中七から下五の措辞に
全てを物語っています。
『はじきたくなる青さかな』は絶対に凡人では出てきません。作者の思慮深い哲学者のような性格が顕著に現れた一句です。私はこの句を今か、今かと待ち侘びておりました。
リズムと映像の復元、自己投影の三つとも、全てが揃っています。然も【言葉は平明に想いは深く】パーフェクトな名句です。
[ 湯豆腐の揺れてくずれて義士の日よ ]
[大森理恵先生の御選評]
昨日のレッスンで、作者はホームランやヒットの作品を沢山、飛ばされた。がこの作品は下五の『平和かな』が上五から中七の『湯豆腐のゆれてくずれて』とは結び付かない。なので丁度、昨日は『義士の日』だったので『ゆれてくずれて』の措辞を活かして忌日の季語を使った。
この場合の『湯豆腐』は子季語と言って、季重なりになっても構わない。歳時記に掲載されてる私の句に【寄鍋の灰汁とり義士の日となりぬ】が、あるが、これも『寄鍋』が子季語となる。いずれにせよ季語は措辞と対になるくらいの大きなモノでなければいけない。
昨日、作者は十句投句されて、少し甘いのが、この一句だけであった。その位にレベルがUPされてるのには非常に驚いた‼️この作品も添削して特選句である。
[ 眠りゆく山に夕陽の色染めて ]
[大森理恵先生の御選評]
この作品のポイントは季語の【山眠る】を作者なりに、砕いて【眠りゆく山】とした箇所にあります。そこに夕陽が沈むことで日本画のような端正な風景を詠みました。此処に作者の美意識が見られます。
かなり作者は他の作品を読み込んでお勉強されているから、このような高度な技が使えるのです。私が最も大切にしている格調の高い、品性の高い一句になりました。この作品も作者らしい【立て句】ですね。
[ 白鳥の白で染めたる本埜村 ]
[大森理恵先生の御選評]
この固有名詞の下五の【本埜村】が実に見事に活きている。
白鳥一羽でもこちらが謙虚な態度で会いに行かねばならないのに、これだけの白鳥の数は今まで見たことがない!中七の措辞も素晴らしい。『白で染めたる』そして固有名詞の有名な『本埜村』。作者独特の格調のある【立て句】の作品である。
昨日のレッスンでも殆ど治す作品がなくて特選句ばかりであった。彼女の俳句に対する真摯で謙虚な向き合い方が私はとても好きである。作品に全ての人間性が出ている。年齢を重ねる毎に、その人の人生が俳句に乗ってくる。真面目で謙虚で優しくて信頼できる素晴らしい方である。
俳句は17文字しかないから、それが顕著にでるのでコワイ文藝である。白鳥の白さが際立った厳かな品格のある特選句。
[ 白鷺となりて羽ばたく谷村忌 ]
[大森理恵先生の御選評]
谷村様は最期の最期迄、頭の切れる矍鑠とされた立派な侍魂をお持ちの方でした。
94歳まで、iPhoneを自在に使われて我々の俳句や選評を必ず、お読みになって、それに纏わる言葉や歴史を述べて下さり、一年以上に渡り句友の皆様を応援してくださっていました。 まだ我々はショックで立ち直れません。
今回は【谷村忌】という形で、これまでの感謝の想いをそれぞれの句にして頂きました。 作者は愛鳥家の重鎮である故に谷村様への沢山の畏敬の想いを込めて【白鷺となりて羽ばたく】と言う素晴らしい一句を作られました。
姫路にお住まいの谷村様は姫路城(白鷺城)を、四六時中、我々に素敵な写真で日々、見せてくださっていました。 朝日に浮かぶ白鷺城、夕日に包まれる白鷺城、冬青空の白鷺城、どんな時にも美しい、お城を、ご一緒に尋ねることが夢でした。 まさに谷村様は白鷺となって天国へと羽ばたいて逝かれました。
この作品は作者の即吟句です。が代表句ともなる名句で驚きました。 初めての忌日の作品が超特選句で何よりですが、これを持ちまして谷村様のご冥福をお祈りさせて頂きたく存じます。 そして、これまで我々に色々とご教示下さいまして心より心より感謝申し上げます。 谷村様、素晴らしい【生き方】をご教示下さいまして、ありがとうございました。
[ 居ずまひを正し白鳥逢ひに行く ]
[大森理恵先生の御選評]
素晴らしい作品である‼️
こう言った作品を【一句一章】と言うがやはり格調が高い。
冬の鳥の中では一番有名な季語の【白鳥】 この白鳥に逢いにゆくのには、その辺のお買物へ行く気持ちではいけない。 作者の本心。凛として高貴な白鳥と対峙するのにはやはり本人もそれなりの覚悟が、いるのであろう。 然も『会ふ』じゃなくて恋する『逢ふ』である。特に愛鳥家さんの重鎮さんであれば、なおさらである。 それを『居ずまひを正し』とドンピシャの措辞を持って来られた。
然も作者は、まだ一年半にも満たないのに殆ど文語の基礎ができている。 『居住まい』➡️『居住まひ』と…。 これは、読者である我々も正座して読ませて頂きたい品格のある特選句である。
[ 寄鍋やむかしむかしへ思ひ馳せ ]
[大森理恵先生の御選評]
措辞の『むかしむかしへ思ひ馳せ』と季語の『寄鍋』が上手く、マッチングしている。
なかなか、『むかしむかし』と繰り返しては言えないが作者は、上手くリフレインを使われた。確かにこの令和の時代には『寄鍋』はあまりしないのかも?我々の時代には冬の季語の『水炊き』『すき焼き』『寄鍋』は普通に寒くなれば寒い食卓に上がってきてた。なので作者の『むかしむかしへ思ひ馳せ』は昭和を懐かしんでる作品ともとれる。
リフレインの効いたとてもリズムの良い特選句である。
[ 寄鍋や二人で歩く五十年 ]
[大森理恵先生の御選評]
季語の【寄鍋】が抜群に効いている。冬の季語には【すき焼き】【湯豆腐】【水炊き】【豚汁】など沢山のお鍋類があるが、やはり共に歩く五十年だと人生、色々あった【寄鍋】が一番良い。
原句の『共に』だと悪くはないがより具象性のある『歩く』と添削した。作者は、まだ二年にも満たないのにレパートリーの広い格調の高い一句を作られる。(いつも言うが文語の基礎も間違いがない。)それは普段から、地味にお勉強されているからだ。いぶし銀のようなご夫婦の五十年!辛いこと、苦しいこと楽しいこと、嬉しいこと全て二人で乗り越えてこられたのが季語の何でも材料の入る【寄鍋】になった。
【寄鍋】の季語が付かず離れずでとても良い。文句ない特選句である
[ ことこととおでんの匂ひ日暮れくる ]
[ ほっかほか焼き芋包む小さき掌 ]
[大森理恵先生の御選評]
原句の【手】➡【掌】に添削したのみですが(掌=手のひらの意味も成します!)
この作品は【焼芋】が季語の、とてもとても可愛いい作品です。子供の小さな、お手手で温かい焼芋を両手に持ち、時には両方のほっぺに挟んで寒いお外の冬に遊びます。情景が浮かんでくる懐かしい作品。これも昭和の光景でしようか。
我々の時代には焚火の中に焼芋を入れて貰ってオヤツに頂きました。ほのぼのとした郷愁のある作品。何処かの田舎へ行けばまだ見られる風景かもしれませんが、これは私達の六歳や七歳頃までだったかも知れません。古き昭和の温かい季語、焚火の中の【焼芋】を上手く詠まれた可愛い御作品ですね。
上五の『ほっかほっか』の措辞と下五の『小さき掌』が抜群に効を成しています!
[ 冬あかね裾野染めたる筑波山 ]
[大森理恵先生の御選評]
作者は相変わらず格調の高い俳句を作句されています。今回、添削したのは『朱色広がる』➡『裾野染めたる』 これは焦点をズームインしてみました。写真でも同じようにズームしますよね?俳句の描写も同じです!
ラストの下五の【筑波山】の固有名詞がとても効いていますね。こういった風格のある作品を基礎をしっかりと学んで【立て句】のホープとして頑張って頂きたいと願っております。とてもダイナミックな作品ですね。
[ 遠き日の埋み火の色恋ふるなり ]
[大森理恵先生の御選評]
作者の使ってられる『埋み火』はかなり難しい冬の季語である。が昔を思い出して作品にされているがとても美しい形容である。
最近、一年半の学びのおかげで着実に実力を発揮されてきている。この作品も昨日の【白鳥】と同じくらいに素晴らしい。️又、季語を中七に入れるのは高等なテクニックがいるのだが、最近ではいとも簡単に、そのことも自然にされている。彼女の作品はいつも言うが格調が高い。️これは誰にも真似できないことである。そこを極めて今後ともこの【埋み火】のような力作の特選句をどんどんと作って頂きたい。
[ 冬木立起こさぬやうに子守歌 ]
[ 花にうた詩に花あり冬あたたか ]
[大森理恵先生の御選評]
作者は俳句を本格的に学ばれて一年半にはまだ満たないが俳句の本質は、既に捕まれている。
今回は措辞の『花にうた詩に花あり』が出来て、多分あとから季語の『月冴ゆる』を足し算された。が、それがとても惜しい。と言うのも俳句や短歌では【雪・月・花】の全ての作品が詠めれば一人前と言われているし私も、そう思う。【雪・月・花】は俳句の絶対的な季語であるから。
措辞は、かなり難しい!!!挙句は季語の『花』をとても、うまくインパクト強く詠んでいながら季語に『月冴ゆる』と強い季語を使っている。これは足し算+足し算になって、かなり惜しい。なので措辞が強ければ季語はバランスをとって優しい【冬あたたか】と添削した。(私の指導は、かなり難しいかもしれませんが個人レッスンという恵まれた環境及び、それぞれの個性を活かした指導に力を入れて基礎をしっかりと学んでゆくことは、どのような学問や藝術でも絶対的に必要です)
生徒さんの、その時、その時のタイミングやレベルに合わせて指導しておりますからそこは、ご心配なくお任せくださいませね。添削してリズムもよくて、これは作者の代表句となった。
[ 冬木立空の広さや人恋し ]
[大森理恵先生の御選評]
季語の【冬木立】が効いた一句である。
【冬木立空の広さや】此処でもお空も春、夏、秋よりも何故か広く感じるのが不思議である。冬は野原もお空もグレーで何もなくてとても寂しい。特に孤独感が増す。そこへ下五の【人恋し】←これはまさに二句一章の素晴らしい転換の心情の言葉である。が誰もが、【冬木立】を見てたら寂しくなるのではないだろうか?
作者は最近、自然に季語を使い、ありのままの句を作られる。その作品に心よりシンクロしてしまう。これをお互いに魂の触れ合うこと=俳句用語では【魂触れ】タマブレと言う。日本古来の『侘び・寂び』の心を作者は最近、いち早く、掴まれたようだ。時空を超え、距離を超えても日本人だけが持つ自然(季語)と対峙した時の『侘び・寂び』の貴重な魂を作者には是非とも受け継いで頂きたい。
格調のある品格のある作者らしい一句である。
[ 雲ひとつ残して広き冬の空 ]
[大森理恵先生の御選評]
この作品は作者にしては珍しい感覚句である。上五の措辞の『雲ひとつ残して広き』までが鋭い感性である。そして答えが『冬の空』これが春でも夏でも秋でも、やはり一句としては成立しない。とても難しい作品である。こんな風な作風が詠めたことに対して、とても嬉しい。
俳句には写生句、自己投影句、花鳥諷詠句、そして感覚句と色々と幅が広い。そして深い。この作品は何も言ってはないが引き算の文藝になっている。【言葉は平明に想いは深く】そのものである。鋭い感性の特選句。
[ 読みかけの古今和歌集冬の月 ]
[大森理恵先生の御選評]
作者は非常に熱心なお弟子さんである。私は彼女に文語を学ぶのであれば、やはり「古今和歌集や万葉集をお読みくださいね」と言ったら、その通りに古今和歌集を拝読されておられる。
原句の季語の【去年今年】は皆さま、良く勘違いされる季語である。高浜虚子の【去年今年貫く棒の如しもの】があるから。あの作品は虚子の作品の中でも一番、良くて有名である。【去年今年】は確かに去年から今年にかけてという意味も含むが、【行く年来る年】のこと。大晦日の午後11時59分から翌年の12時を跨ぐhappy new yearの刻を言う。(また御本のことを読みさしとは言わない。読みかけである。)
そこで私は作品に立体感を出す為に季語を【冬の月】に変えた。この季語により冴えた冬の月と古今和歌集との対比が出て美しい品格のある、又格調の高い特選句になる。
追記 作者が今日、鳥の御写真に雪の中のナナカマドの中にキレンジャクの可愛いい品格のある素敵な写真を掲載しておられる。俳句というのは全く同じ。全てとの対比である。ちなみに私はあの12月の作者の御写真は超超超お気に入りだ。
[ 年惜しむよき師よき友よき俳句 ]
[大森理恵先生の御選評]
一年を締めくくる素晴らしい作品を掲載して下さいましてありがとうございます。『よき』のリフレインが優れていて作者にしては珍しい、自己投影句である。
自分の事を言うのは、とても恥ずかしいが大晦日の今日、京都は雨の為、昨日から少し体調が優れず凹んでいたが、この句を見て一年間、必死で指導させて頂いて来た事にこちらが感謝、感謝で胸がいっぱいになった。
原句の季語の【去年今年】に関しては俳人でも良く知らない方々が多い。実はこの季語の代表句、【去年今年貫く棒の如きもの】by高浜虚子が終戦後に鎌倉駅の構内の黒板に掲げてられていた。それを見つけた川端康成が世に出た季語なので俳人達の間でも今一、はっきりとしていなかった。が万葉の昔からある有名な季語なのである。昨日、付け足したがNHKの紅白歌合戦が終わった頃に、何処かの大寺の除夜の鐘が鳴り【行く年来る年】の番組が始まる。その頃の時間帯【行く年来る年】=【去年今年】と覚えてもらえば良い。
今回の作者の作品の措辞には合わなかったので【年惜しむ】とさせて頂いた。こちらこそ一年間、色々と温かい御心遣いを頂きまして、又、真摯に俳句と向き合い私の宝物である俳句の心を少しずつ掴んでくださいましたこと心より御礼申し上げます。この場をお借りしましてどうぞ、来年もよろしくお願い申し上げます。追記勿論、挙句は添削しての超特選句である。