- 原句は【春障子鳥の影絵の二つ三つ】でした。
- 原句は【寒すずめねんねんころり子守歌】でした。
- 原句は【「ぽちぽちね」友の言葉の冬あたたか】でした。
- 原句は【赤もまた寂しかりけり冬椿】でした。
- 原句は【じやんけんぽん春待つ我に子らのこゑ】でした。
- 原句は【春障子ねこの影あり人もあり】でした。
- 原句は【色とりどりサラダ大盛り春浅し】でした。
- 原句は【冬あたたか言の葉つむぎ夢つむぎ】でした。
- 原句は【流れゆく雲さまざまに寒明くる】でした。
- 原句は【春めきぬ風に色あり光あり】でした。
- 原句は【春の風バイクの音も軽やかに】でした。
- 原句は【雁帰る風も光も友として】でした。
- 原句は【雨だれの音符となりて春きざす】でした。
- 原句は【四温かな一歩一歩の散歩道】でした。
- 原句は【春めきぬ木々にこゑあり歌のあり】でした。
- 原句は【鴨ありて沼に一艘渡し舟】でした。
- 原句は【春めきぬ空の光のよみがへり】でした。
- 原句は【空の色日ごと変わりて寒明ける】でした。
- 原句は【春寒き能登半島に思ひ馳せ】でした。
- 原句は【また一年羽音残して鴨の群れ】でした。
- 原句は【小さき手絵本をめくる雛まつり】でした。
- 原句は【猫の恋そのこゑ哀れ夕まぐれ】でした。
- 原句は【春とどく心も届く絵本かな】でした。
[ 待春や鳥の影絵の二つ三つ ]
[ 寒雲雀ねんねんころり子守歌 ]
[大森理恵先生の御選評]
榮子さんの原句でも良かったのですが【雀】よりも【雲雀】の方がピーチクパーチクのイメージが強くて・・・然も【揚雲雀】という名前も持つ。それで音声の高い【雲雀】さんに静かに休んで頂こうと添削致しました。愛鳥家さんらしい一句である。
措辞の『ねんねんころり子守歌』が何とも言えず郷愁を呼ぶ。優しい御心の作者に子守唄を歌って貰ったら直ぐに眠りそうだ。
画像の雲雀がとても可愛いい。私は基本、画像に俳句を付けるのは俳句のイメージが膨らまないので反対派であるが。(写真俳句の元祖は亡き森村誠一先生で特許を持っておられた。私が大昔、Facebookでの世界俳句大学を立ち上げる時の顧問をお願いした。←️これは息子の健司の結社【森】の元祖である)写真俳句の本を沢山、出されて写真俳句を推奨されていた。吉野の観桜会や紅葉狩りでも写真をパチパチ撮られたので角川春樹さん、堤清二さん、そして私は、反対していた派であったが、いつのまにか、snsの普及と共に写真俳句が当たり前になった。
基本、俳句は縦書きの十七文字で表現することが大切。あとは【俳句の一人歩き】と言って読者にどのように鑑賞されようとも作者は何も言えない。厳しい古来からある伝統文藝である。
大切な話しと思い、此処のスレッドで書き込みさせて頂きました。この作品は作者らしい。添削しての特選句。
[ 冬あたたか友の言葉の「ぽちぽちね」]
[ 赤もまた寂しかりけり寒椿 ]
[ じやんけんぽん春待つ子らや大広場 ]
[大森理恵先生の御選評]
作者はやはり鳥の作品はおいとかれれて違うジャンルでの具材に挑まれてる!素晴らしいことだ(^.^)この原句を直したのは俳句では【我】は当たり前なので。
【ジヤンケンポン春待つ】の措辞が特別に良いので下五の着地を場所の【大広場】を付け加えた。これで句の拡がりが大きくなる。添削しての満点特選句ですね 。
[ 春障子ねこの影あり人のあり ]
[大森理恵先生の御選評]
季語の【春障子】と措辞が抜群に効いている作品である。
まるで絵画のように画像がなくても想像が膨らむ。が助詞の【の】は難しい。そして【も】の助詞はあまり俳句での出番が少ない!此処はリフレインを使って【ねこの影あり人のあり】と添削させて頂いた。難しい季語に挑戦された作者には拍手を送りたい。
まだ本格的に学ばれて2年にも満たないのに私の奥の深い指導を理解して下さって【一字違いが大違い】なんて理恵語録を使って下さったのは非常に嬉しい。
春は、もう、そこまで。京都はあと、一か月少し。【比良八荒】【若狭のお水取り】【奈良の修二会】この三つの行事が終わりお彼岸が済むまでは底冷えの寒さが続きそうだ。
榮子さん、どうか暖かくされまして日々、お健やかにお過ごしくださいませね。挙句は添削しての特選句。
[ 色とりどりサラダ大盛り浅き春 ]
[大森理恵先生の御選評]
素晴らしい作品と素晴らしい画像ですね。最近の作者は色々な箇所に目を付けて俳句の具材を見つけて来られる。とても良いことだ。
この作品の上五から中七にかけての『色とりとりどりのサラダ大盛り』はもしかして真理子さん宅のカレー&サラダ(紫野ちゃん特製)をご覧になり、できたのであろうか?
然も季語『浅き春』が感覚的にとても効いている。抜群に感性のある個性的な特選句である。
[ 冬あたたか言の葉つむぎ夢つむぐ ]
[ 立春や風に色あり光あり ]
[大森理恵先生の御選評]
今日の二月四日は【立春】【春立つ】【立春大吉】とも言う。
この作品が良いのは【風】にスポットを当てている箇所である。措辞の『風に色あり光あり』という感性は、作者のスペシャルな発想である。️然も『あり』のリフレインも効いていて流れもよくて季語が動かない。この作品は個人レッスンの折に特選句に頂いた。
(︎今日、【立春】にして良いこと。①お豆腐を食べる。これは白く柔らかい栄養化の高い庶民の味方の、お豆腐を立春に食べるとずっと健やかにいられると言う昔からの京都の風習。②小豆入りの団子餅を食べる。京都では小豆入りの豆餅を食べると長生きすると言われて来た。これも大昔からの風習である。俳句に関係ないことであるが、昔の方々の言われて来たことは一理あるから御参考までに)
ともかく、この作品は文句なしの【言葉は平明に想いは深く】を実行されている【立春】の発想の良いオリジナル特選句。
[ 流れゆく雲さまざまに寒明ける ]
[ きさらぎや風に色あり光あり ]
[大森理恵先生の御選評]
措辞の『風に色あり光あり』が素敵なので直ぐに『きさらぎや』が出てきました。
原句でも悪くはないのですが、(やはり少し『季語が動く』⬅この言葉も理恵語録で季語がピタッと決まってなくて他の季語でも良い時に使います。)昔から春二月の春が訪れた初春の頃を【きさらぎ】と言います。音律も良くて好きな季語です。この原句を見た瞬間にこれは【きさらぎ】と思いまして変えさせて頂きました。
作者は日々の風や光を見つめながら俳句の感性を磨いておられる、とても優秀なお弟子さんの一人です。言葉は平明なのですがとても想いが深い一句です。きさらぎのキラキラした春の様子、ウキウキした心が一度にキャッチできる特選句。
[ 春風やバイクの音も軽やかに ]
[大森理恵先生の御選評]
原句は二句一章にはなってなかったので切れ字の【や】を使って二句一章の作品にした。これも【一字違いが大違い】の作品である。
原句の発想を活かして添削したが、やはり【春風や】と切ることにより、作品が拡がる。作者とバイクの結び付きがなんとも微笑ましい作品であった。こう言う風にあちこちに視点を向けてアンテナを立てて具材を使われるのは、とても良いことである。
今夜のレッスンが楽しみです。榮子さん、よろしくお願いします。【や】を入れて添削したがこの作品は軽やかで、季語が効いていて、とても良い。
[ 鳥雲に風も光も連れて行く ]
[ 四温かな木々のささやき鳥のこゑ ]
[大森理恵先生の御選評]
この季語の【四温かな】は始めの上五に持って来られても中七から下五にかけての措辞の【木々のささやき鳥のこゑ】が四温と相対しますからリズムの音調は狂いません。
️作者は、基礎のリズムの音調が素晴らしいです。多分、『ワカ』らんけど『和歌』のお勉強もされているのかも?(あっ申し訳ございません。昨日の流れでついつい、変なこと書きましたがともかく、措辞がかなり良いです。)
確かに駆け足ではないけれどこの一句により一歩、一歩、春に近づいてるのがわかります。名前が出てなければ、歳時記に掲載されていても、重鎮の作品のような風格と気品のある作品であります。これは作者の一番、お得意とする格調の高い特選句ですね。
[ 雨だれの音符となりて春めきぬ ]
[大森理恵先生の御選評]
先程から一番に榮子さんの選評を書き込みましたらまた、英語でFacebookからストップ🛑が、かかりました。
ともかく【春きざす】➡️【春めきぬ】に添削したのには深い理由があります。添削しての特選句。
[ 散歩道一歩一歩の四温かな ]
[大森理恵先生の御選評]
原句も良いがリズムと一句の落ち着きを考慮して添削させて頂きました。
この〇〇かなを前に持ってくるか後ろにするかはやはり、長い間の俳句の音律や全て学んでくる慣れだと思います。作者は今、昔と違って自由に跳ね回ることが出来ません。なので、自己投影の『一歩一歩の』に深い意味合いがあります。
語順を変えるのは理恵のみの指導です。他の方々は、そういったことはあまりされません。私が66年間、短歌や俳句を学んできた結果、私自身の作句の折にも自分の句を何度も舌で転がして見つけてきたことです。これも俳句の【理恵哲学】でしょうか?
直しての特選句に頂きます。榮子さんへ 明後日から又、三寒ですので、どうぞ暖かくされてお健やかにお過ごし下さいませね。
[ 涅槃かな木々にこゑあり詩のあり ]
[大森理恵先生の御選評]
昨夜のレッスンでは榮子さんの10句のうち二句は、原句のまんまで、あとは季語や助詞、言葉の入れ替えなどを添削すれば全て更に更に良くなった。
いつも言うが原句が良いから添削できる。挙句も季語の【春めきぬ】➡️【涅槃】としたのは下五からの措辞があまりにもリズムや措辞がイキイキとして瑞々しかったから・・・
素敵なのだ。『木々にこゑあり歌(詩と添削した)のあり』が春の息吹を感じられるリズムの良い措辞であったので、全ての誕生に関与されているお釈迦様の季語の【涅槃】を使った。少し、難しい季語の【涅槃かな】とした。我々が活かされている悟りの境地を学んで頂きたかった。御本人も何故、私が此処を添削したのかは、しっかりとは理解できてないと思うが、これがあと数年先になれば凄い添削であったことを確認されることであろう。
作者はいつも言うがとても習い上手なIQの高い方である。ご自身も教育者であったので指導のプロである。三人のお弟子さんはどなたも個性がありレッスンが楽しいが彼女は特に【俳句】に賭ける比重が大きい。ということは【生きること】に貪欲なのだ。健康な頃はあちこちにお出かけになられて主に鳥🦆を一眼レフで撮影されて来た。どれも日本画のように素晴らしい作品であった。が今は身体の痛みで何処にもお出かけが出来ない。全て机上の俳句である。がそれにも負けず彼女の俳句の感性は素晴らしい。
今は絶好調であるが全没の時もあった。人生と同じで流れの良い時と悪い時の乗り越え方を理解しておられる。まるでお釈迦さんの御本を沢山読まれていたように。然しながら彼女は殆ど読んだことがないとのことだった。レッスンの最後に私が幼い頃から読んできたお釈迦様の御本ではないが大好きな【菜根譚】を作者にはお勧めした。俳句は俳句だけお勉強していてはダメであるから世の中や自然の哲学を是非とも学んで欲しい。
【涅槃かな】と季語を添削しての特選句である。
[ 冴え返る夜道にひびく靴の音 ]
[大森理恵先生の御選評]
ここでの季語は【冴え返へる】暦の上では春なのに全てのモノが、厳しい寒さの為に、くっきり、はっきり見える現象を言う。
作者は【冴え返へる夜道】と使われて下五に【靴の音】と音をバランスの対象にされている。とても優秀な一句である。
此処での文語体の注意 【冴え】➡️【冴ゆ】と変換するので【冴え】が正解 【返へる】➡️え✖︎へ○️こういった文語体の使い方が俳句の基礎では重要である。
基礎から使っていれば慣れで身体に染み込む。私は基礎をしっかりと身に付けて頂くことを各お弟子さん達には注意しながら指導している。あとからではなかなか、身体に染み込ませるのが難しいからだ。映像の復元とリズム、自己投影、そして音まで聞こえるような特選句である。
[ 行く鴨や沼に一艘渡し舟 ]
[ 料峭や空の光の一筋に ]
[大森理恵先生の御選評]
挙句のように作者の原句をすっかり変えたのは始めである。
基本、私は原句を活かす指導方針を徹底してるのだが、今回は中七から下五の『空の光のよみがへり』から添削してゆくと下五をもっと具体的にと、思い『一筋に』と凛とした光の光景を出した。
作者のIQのレベルが高いので私自身に欲が出て、今回、お弟子さん達が、まだ、ハッキリと掴めていない【料峭】の季語に変えた。上五を【料峭や】とすることにより一句が【二句一章】になり説明的な俳句にはならないのだ。
何処かのお弟子さんの選評やコメントで書いているが、俳句に関しての季語やその他のことを決してGoogle検索はされないで頂きたい。何故かと言えばGoogleは俳句の事が根本的に理解できてない方々が編集されているからである。
【料峭】とは春という暦の上での丁度、立春以降の今頃の東風(コチ)の冷たさを言う。川べりに佇つと冷たい風が下から吹くような寒さで頬が冷たくなる。丁度、雪解けの村や川の様子を想像してほしい。体感的な季語なので非常に難しい。私が唱歌の【♪早春譜♪】を例えて、【料峭】を学んで下さいと言ってきたのはそう言う意味がある。お弟子さんや読者の皆様方はYouTubeなどで【♪早春譜♪】の画像と歌詞を良く見て頂きたい。必ず雪解けの山や川が入っていて歌詞も文語体で【料峭】のことを述べておられる。
原句の【春めきぬ】では弱いので強い季語の【料峭や】と添削した。
原句が良いので添削できた秀逸作品である。
[ 空の色日ごと変わりて寒明くる ]
[大森理恵先生の御選評]
これこそ、【一字違いが大違い】
季語の【寒明ける】➡️【寒明くる】と【け】➡️【く】の違いである。
これは、文法上の間違いであるから多少、違っていても良いのだが、私は、お弟子さん達には基礎の文語体の文法を、三年以内にしっかりと身に付けて頂きたいので添削した。
それにしても作者のこの作品の措辞はお見事!『空の色ひごと変わりて』まさに、その通りである。ここ四温の今でも日毎に空の色が変わる。良く細かい処まで見ておられる、と感心した特選句である。
[ 春寒や能登半島に思ひ馳せ ]
[大森理恵先生の御選評]
一月一日の本震から余震の続いている能登半島!!!暦の上では春とは言え、まだまだ雪も降り風も冷たく余寒の寒さが厳しいであろう。また瓦礫の整理もそのまんまで避難所で過ごされている方々を思うと胸が痛くて、とても辛い。
そのような辛い、辛い、悲しい、悲しい気持ちを作者は、一句にされた。日本国民の誰もが、元旦よりずっと、思っていることであるし、なるべく早い復興を全員が願っている。
添削はしたが挨拶句としての特選句である。
[ 被災地の路傍の花よ春を待つ]
[大森理恵先生の御選評]
作者は、ずっと被災地に想いを馳せておられる。片隅に咲く花にも春は来る‼️
京都も二日続けての地震があり、珍しく怖くて、ヘルメット️を買った。少し暖かかったのだが、又、昨日から寒が戻ってきた。京都に震度4の日のすぐあとに能登も震度4の余震があった。
この作品は、作者の優しさが思いっきり現れている素敵な作品である。誰もが、それどころではない被災地の片隅にも花は咲くのだ。自然の力は偉大である。我々は、その自然を愛でて、豊かに日々を過ごさないと……平凡なシアワセを見直す一句である。
最近の作者は絶好調。️何でも俳句にされる。幅の広い作家になられて来た。それが何より嬉しい‼️誰もが、わかる言葉は平明に想いは深い特選句である。
[ また一年羽音のこして鴨帰る ]
[ 過去の恋すつぽり包む春の雪 ]
[大森理恵先生の御選評]
この作品は、前回のレッスンで出てきた。失礼ながら思わず吹き出してしまった。作者にしたら珍しい【恋】の一句。
御本人もコメントで書き込まれているように俳句は何でもありなのだ。【実】であろうが【虚】であろうが・・・
この一句の季語の【春の雪】が何とも艶っぽくて、とても良いエッセンスである。然も【過去の恋】を春の雪が【すつぽり包む】ということは自分の中ては、もう、既に過ぎ去ったことという意味。こう言った品格の高い恋の句も、今後はどんどん作句して頂きたい。
【春の雪】の季語が動かない最近の満塁ホームラン句。
[ きさらぎの空生き生きと深呼吸 ]
[大森理恵先生の御選評]
この作品は季語の【きさらぎ】が抜群に効いている。今日の京都は、とても寒くて、このような感じではないが、普段の【きさらぎの空】は実に生き生きとしていて、とても気持ちが良い。
作者は、その【きさらぎの空】で思いっきり、深呼吸をされたのだ。自己投影の優れた、感覚的な特選句。️作者の発想は、色々とお勉強を、されているので、とても自在である。
[ 小さき手絵本をめくる涅槃西風 ]
[大森理恵先生の御選評]
添削させて頂きました【涅槃西風】につきましては凄く難しい季語になり二週間に渡り、句友の佳子さんも悩み理解に苦しまれました。榮子さんの作品の原句【雛祭り】では季語が少し、弱いので、【涅槃西風】としましたが、この季語に関しましては個人レッスンの折にそれぞれの方々に詳しく、ゆるゆると焦らずに理解できますように説明させて頂きます。実は下五が【涅槃かな】でもダメなのです。作者の上五からの措辞の『小さき手で絵本をめくる』では【風】を持って来ないと動きが出ませんwwwそれと措辞が平凡であれば季語を難題にするのは俳句では最も大切なバランス感覚なのです(^^)俳句は【陽】と【陰】【光】と【影】【明】と【暗】と言った対照的な措辞と季語のバランスが大切です。【俳句】🟰【人生の生き方】🟰【宇宙の真理】なのです‼️これは始めてのレッスンで皆さまに、ご指導させて頂きましたがが、なかなか実践では難しいですよね???でも諦めないで下さいね⤴️⤴️⤴️【継続は力なり】学んでいるうちに文語体の如くに身についてまいりますし、歳時記を読んでいてもこれが【陽】の季語か【陰】の季語かが必ず、必ず、理解できるようになります。何と言っても、まだ二年足らずの作者ですから、これからが超、楽しみな作家さんです。あまりにも可愛いい措辞なので没句にするのが勿体なくて【涅槃西風】という難解な季語を付けましたが、これは理解できなくて当たり前です。プロの俳人でも理解できて指導される事は無理でしょうから。(笑)66年の俳句の集大成としての理恵の添削であると覚えておいて下されば嬉しい限りです。難解ではありますが添削しての特選句です
◆
[ 猫の恋知らぬふりして散歩径 ]
[大森理恵先生の御選評]
(京都は急激な春の寒さで風邪を引いちゃいました。選評が遅くなり誠に申し訳ございません。)
この作品の季語の【猫の恋】はかなり難しい季語です。が作者は、いとも簡単にこの一句を作られました。引き算の文藝がお見事です。️全ての語彙の切れがとても良いです。措辞の【知らぬふりして散歩径】が【猫の恋】と相まって、とても良いフレーズになっています。
作者は俳句の醍醐味の引き算を習得されつつあるのかも?それにしては、まだ、2年にもならないのにレベルが高いですね。とても感心した一句です。類想のない素晴らしい特選句ですね。
[ 亀啼くやそのこゑ哀れ夕まぐれ ]
[大森理恵先生の御選評]
原句の【猫の恋】の声が聞こえてくるのは当たり前であるし哀れでもない。なので此処は、少し難度の高い【亀啼く】を使った。
【亀啼く】の季語は昔からあるが誰も、その啼き声を聞いたことがない。平安時代の藤原為家の和歌に【川越のをちの田中の夕闇に何ぞときけば亀のなくなり】という有名な和歌がある。古くから季題として使われてきた。少し俳諧的な趣きのある季語である。
この春の【亀啼く】に対して秋には【蚯蚓啼く】がるあり両方とも感覚的な情趣のある季語ではあるが実際には啼かない。とても哀愁のある寂寥感溢れたときに、【亀啼く】という季語を使う。️この季語だけで何も言わずとも、哀れであり胸がキュンとする季語である。
作者は、まだまだ一年と八ヶ月…。なので、この季語は難しいであろうとおもったのだが、この【亀啼く】は春を,代表する、とても有名な季語なので是非とも覚えて頂きたいと思い、使ってみた。
下五の【夕まぐれ】の言い方が何とも心地よい。これが無ければたぶん、【亀啼く】の季語は使わなかったであろう。少しレベルが高い一句になったが。俳句では最も大切な【寂寥感】を覚えてもらいたくて、使ってみた。添削しての特選句。
[ 春の雲おとぎの国へ夢のせて ]
[大森理恵先生の御選評]
昨夜は榮子さんのレッスンでした。お風邪の為にお熱がありましたのに熱心に授業を受けられる態度には、とても案じましたが…こうして投稿されて、心より一安心致しました。
とてもファンタジーな夢のある作品ですね。今日は全国的にお天気も良くなくて春寒の【天皇誕生日】ですが、この作品は、暖かくなって【春の雲】を見れば何となく、そんな気持ちになるような可愛いい作品です。
️季語の【春の雲】はポッカリとファーンとお空に浮かぶ。まるで、お伽の国へ夢を載せているように。これは夢のある春らしい素敵な特選句です。
[ 春とどく心を載せて絵本かな ]
[大森理恵先生の御選評]
この御本は久々に泣きながら感動させて頂きました。八重子ママありがとうございました(送り主は真理ちゃんが佳子さんの投稿のコメントでバラシてるから。始めは黙っていようと思ってたのにバレバレ。)
原句の『心も届く』は多分、八重子ママからの温かいお気持ちを言われてるのだと思いますが、俳句は、相聞歌ではないので俯瞰的に一句を作句することが大切である。なので作者の、いうちちひろ様の御心を掴んで『心を載せて』と添削した。
この御本が届いたときに真理子さんが私に言われた。「お身体が前みたく自由の効かない榮子さんも、この御本を、ご覧になって俳句という文藝で少しでも前向きに頑張って下さいましたら。」と…。すると榮子さんはやはり、この御本の感想を、前向きに謙虚に述べてくださっていて、とてもとても嬉しかった。勿論、句友の真理子さんも八重子ママも、同じ気持ちだと思う。
いつも言うが原句が良いから添削して尚、一層、良い一句になる。これは誰が見ても特選句。絵本の作者の色鉛筆で書かれた表紙を画像にされた榮子さんのセンスも抜群。
例え、身体的な故障があれど人を感動させることは出来るのだ。私も身に沁みて凛とした謙虚な気持ちで読ませて頂いた素晴らしい色鉛筆の絵と素敵な文章の感動の一冊であった。
八重子ママ、ありがとうございました。