魂の一行詩:ひとりの灯 大森理恵
【 短日の砂 】
名をつけてひよこ売らるる復活祭
蹠見せ飛び込み台の白い夏
ビー玉に海の色ある巴里祭
夕空のまだ濡れている施餓鬼かな
抜け路地を夕日の塞ぐ鱧おとし
たこ焼きのたこ大粒に西鶴忌
鮒鮨や北より曇る湖の村
実梅干す湖の照る日も翳る日も
糸底のざら目に残る暑さかな
電柱に根のあるやうな大西日
女系家族きつね貌して昼寝せり
船小屋に油の匂ふ星祭り
漢薬を小瓶に詰めて小鳥来る
鶏頭や洗ひさらしの空のあり
烏賊の胴すつぽり抜きし短日かな
二百十日俎板に散る烏賊の墨
蒟蒻の刺身ひらひら十三夜
蒟蒻のあく抜き勤労感謝の日
ちちろ鳴く漢字のやうな父とゐて
面売りのうしろ色なき風の過ぐ
自然薯の髭絡み合ふ芙美子の地
口紅をななめに減らし北風吹けり
十二月玩具の猿が掌を叩く
人のゐるところ音して冬あたたか
さいころの一が出てゐる建国日
ふつくらと米炊き上げて建国祭
五分粥のやうな雲ある雛まつり
祇園まで小橋いくつやゆりかもめ
待春の湖で米磨ぐ男かな
走り根に日の移りゆく復活祭
花合歓や父の寝顔の何か言ふ
朝焼けや父との別れ近づきぬ
喪の髪をほどいてをりぬ遠花火
短日の砂に手型を付けて来し
【 背泳ぎ 】
あたたかや嘘をつきたるをとこの眼
竹馬に夕空のあるむかしかな
バレンタインデー桃色に透く猫の耳
バレンタインデー浅蜊が舌を出してをり
バレンタインデー目刺並べて焦がしけり
野蒜摘む五指をゆるめてゐたりけり
遠き祖は尾のある人よ青き踏む酢につけて水母のちぢむ仏生会
濃あぢさゐ女に七つ道具あり
伊吹嶺に灯のかたまりぬ一夜鮨
六月の押さねば泣かぬ護謨人形
饅頭に寺の名を入れ雲の峰
炎昼の首なき影と歩みけり
終戦日いつもの駅の水を呑む
かなかなや赤い灯の点く手術室
背泳ぎに空を見てゐる原爆忌
文鎮を置きて涼しき文机
十五夜の木を離れたる木霊かな
「好き」といふ手話を覚えし葛の花
両膝に山の日を入れ零余子めし
父恋ふや幾何の模様に鳥渡る
熟柿吸ふまだ仏心に遠きかな
放心の雲流れをり赤蜻蛉
ぎんなん拾ふ仏蘭西の遠きかな
【 巴里祭 】
晴天の海荒れてゐる鶏頭花
手にすくふ水に空ある糸瓜の忌
冬りんご海の向かうに海のあり
生きてゐてよかった海鼠腸啜りけり
冬珊瑚かなしきときも化粧して
ここだけの話つつ抜け春障子
菜の花やキリストの脚垂れてをり
干梅や日暮れは水のいろとなり
六月や盲導犬の赤き紐
雨を呼ぶ宇治十帖や落し文
日盛りや時計遅れしまま動く
行くあてもなく汽車を待つ晩夏光
二百十日掃除機の吸ふ赤き糸
蛾を入れて一夜の明くる西鶴忌
仏壇の中のつめたき良夜かな
外燈のふいに点きたる冬始め
雪女郎ねむりぐすりに覚めてをり
冬青空どこへもゆかぬ脚二本
寄鍋の灰汁とり義士の日となりぬ
雪しんしん海鼠のやうに寝まるかな
どの樹にも夕日をとめて仏生会
泣きたくて笑ってゐたる春炬燵
花の夜や水替へてゐる水枕
四月一日船底に積む真水かな
昼灯すカフェーに座る寺山忌
見慣れたる山がありけり更衣
手鏡に黒髪あまる聖五月
道行きの雪降らせをり夏芝居
啼くときは棒となりたる羽抜鳥
まなざしに嘘ありトマトに種のあり
海の日の海荒れてゐる衣紋竹
地下鉄を乗り換へてゐる巴里祭
カレンダーの余白八月十五日
舟虫の舟虫を追ふ良夜かな
喪服着て色なき風にふれてをり
雲が雲追ひかけてゆく秋燕忌
四方の山見飽きて秋の簾かな
数へ日や午後の日差しに髪染めて
一坊の冬を燈して石鼎忌
冬たんぽぽ無人の駅の電話鳴る
あたたかや家族の数の牛乳瓶
朝の水呑んで阪神震災忌
浅春や舟の影過ぐ蔵の壁
はこべらや始発電車が橋渡る
有線で仔犬をさがす雪解かな
雪解けやひとりはみだす鼓笛隊
遠山のかくも晴れたり菜の花忌
水槽の亀にこゑかけ卒業す
アネモネや姉妹ふたりの理髪店
花会式稚児のあくびを見てゐたり
目の奥に青空見ゆる孕み鹿
ゆく春や海に展きし美術館
復活祭イルカは空へ宙返る
かげろふや海へ突き出す滑走路
花りんご荷を揚げてゐるロシア船
修正ペン滲む憲法記念の日
江ノ電に夕陽のながき柿若葉
ぽつかりと気球が空に五月病
真夜中の水を噛んで河童の忌
プラトンに芭蕉の隣る曝書かな
海の上に国境ありぬサングラス
銭湯のひとつ消えたる西鶴忌
【 夜桜 】
青梅雨や外燈のつく大使館
洗面器に顔を浸たして敗戦日
麦とろや女人高野は月の中
晩秋や湖に灯のつく観覧車
䱌煮るや湖北色なき風の中
青空へのぼる淑気のエレベーター
今年また為すこと多き副茶かな
雪しんしん卓の銀器のふれ合ふ音
卓上にメモの殖えたる比良八荒
縫ひ糸の端見失ふ鳥の恋
都をどり初日の山の晴れにけり
れんぎようや蔵の中なる雨の音
夜桜に灯の入る仏蘭西料理店
葉桜や誰もゐぬ日の貸しボート
良寛にふたりの母や花楓
かげろふや仔豚を吊るす中華街
六月や女ばかりの地獄絵図
初ぼたる魔女も悪女もゐたりけり
きのふより海の色濃き鶏頭花
拝殿の海に突き出す良夜かな
人混みの中の夕日や西鶴忌
空つぽの鶏舎に風吹く素秋かな
文箱の筆いつぽんや秋気満つ
比叡の灯見ゆる夜食の机かな
鏡拭く台風圏の中にをり
秋の燈や触れてつめたき志野茶碗
朝鵙や両掌でたたく化粧水
夕鵙や肩に残りし水着あと
受話器置く音より寒夜始まれり
屋根裏に蜘蛛の囲を張る深雪晴
おぼろ夜のいづこに散れり河豚の毒
薔薇買ふや然したることもなき夜に
春の夢足いつぽんを摑まれて
五月雨や猫に飼はれてゐる私
冷さうめんこれより午後の暑さかな
うすものや露地の茶房に深く坐す
土管から仔猫出てくるパリー祭
夏芝居殺し場の雨ざんざ降り
蓴業や俄かに崩れゆく自信
孑子や血縁といふかろきもの
ふつくらとタオルを畳む秀野の忌
ひと掻きを大きく秋を泳ぎけり
はるかまで銀杏の散りし美術館
晩秋やユトリロの黒迫り来る
賀茂川に灯のこぼれたる鉢叩き
煮大根を煮かへす天皇誕生日
鹿の瞳にわれがあるなり万燈会
イタリアの地図を見てゐる二月かな
【 大きな枕 】
跳ねてゐる魚に刃を入れ良夜かな
麩のごとき猫の寝息や黄落す
蟹動く蟹の看板冬立てり
しぐれつつ沖の灯殖ゆるクリスマス
たこ焼きの蛸のはみ出す聖夜かな
波の中波生む阪神震災忌
初旅の脚を収めるブーツかな
蛇穴を出て地下鉄の路線地図
老優の視線の中にゐて涼し
ゆるやかに裸身崩るる百日紅
月涼し黒きもの縫ふ黒き糸
敗戦忌大きな枕に眠りたる
ゆく夏やブリキの金魚に螺子を巻く
秋の燈や仔豚さかさに吊られをり
蟷螂の音たててくる月の中
文机に日の移りゆく冬りんご
胸赫き水鳥の翔つ近松忌
まつさきに藍の匂ひし夕時雨
手袋や何かを掴みたき十指
雪しんしん駅の時計の止まりたる
十二月八日たつぷり使ふ歯磨粉
十二月八日ぬかるみに嵌まるブーツかな
音立てて猫が水呑む聖夜かな
おほどかに被災地跡の聖樹の灯
北風吹くや若狭鰈の紅透きて
窓拭けば青空のある二日かな
流し日の羽子板並ぶ寒さかな
人日や夢に覚めれば泣いてをり
たましひの抜かれて寝まる寒海鼠
貝焼のぶつぶつ煮ゆる霜夜かな
雪女郎ガルガボの眉を真似てをり
津軽じよんがら鱈鍋の火の青きかな
流木の瘤のくれなゐ寒明くる
お涅槃の真白きタオル干しにけり
飴いろに雑魚を煮つめて春の雪
誰れ彼れもビニール傘や荷風の忌
灯を入れて春の時雨となりにけり
静脈を敲いて浮かす夕桜
春闘や飯蛸の腕からみつく
路地ひとつ曲り春月大きくす
ブロッコリー真青に茹でて風邪心地
春風邪をもらひ天気図荒模様
鳶の輪の大きく復活祭の日なりけり
血脈のおもたき青葉月夜かな
コーラの泡ぷつぷつ米国独立祭
白南風や島に飛べない鳥のゐて
臆病なむかしありけり夜のプール
女人高野てんたう虫の翅ひらく
宇治十帖ここより絵日傘ひらきけり
ががんぼのまつすぐにくる来迎図
解夏近し絹糸のやうな雨が降る
冷奴ときにおもたき家系かな
鏡やに鏡の映る油照り
人も荷も混む夏霧のエアポート
すれ違ふ男のコロン素秋かな
夕べ祈るや網戸に風の通り過ぐ
踏み洗ふジーンズ色なき風の中
存分に海見て蛇の穴に入る
いつせいに木の実落として智恵子の地
からすみや月の出に雨すこし降り
時雨聴く赤き倉庫のカフェーかな
神発ちの灯のあかあかと番屋跡
湯上りの指紋ふくらむ冬隣り
夕波のここより冬の立ちにけり
さるぽぽも蕪も赤き飛騨時雨
まつさきに鯛の目を喰ぶちやんこ鍋
狸罠うしろに月の廻りけり
ひと雨にセーターの赤選りにけり
義士の日や湯気吐いてゐるマンホール
義士の日や三分待てぬカップ麺
【 ひとりの灯 】
原爆の地なりトマトの真つ赫なり
螢火のひとつや死者が橋渡る
地下鉄が人を吞み込む暑さかな
赤き缶転がる先の蟻地獄
男来て午後より晴れし花野かな
萩の花バッハを聴いてこぼれけり
鬼の子の覗く鬼の子月夜かな
冬あたたか玩具の列車脱線す
天皇の日の闘魚一途に泳ぎけり
仔狸の月に問ひける素性かな
冬の虹歳月といふ落しもの
その中の靴の濡れをり十夜寺
夢にいろありて目覚めし寒さかな
ジョーカーを抜きたる指の悴めり
冬至満月なにして過ぎし昨日かな
ふくろふのまばたきに星殖ゆるなり
追ふ恋も追はるる恋も蝌蚪の国
悪しき血を採られて空のかぎろへり
香水や月日はとんでゆくごとし
万緑の下を地下鉄疾走す
くずきりや無為といふ日の中にをり
たぎる血を遠く遠くに宵囃子
銀漢に合はすラジオの周波数
風鈴や生き霊すでに忍び寄る
良夜かな悪夢を獏に渡される
秋の蚊の鳴く小夜城といふ街に
ねぢ巻いて私がうごく星河かな
コスモスのひしめきあつてゐる孤独
鳥が人おそふ夢みて良夜かな
落花生ひとりにかなふ灯を寄せて
寂しさの夜を越えゆく秋刀魚かな
しぐるるや狐が女にだまされて
蛇穴に入る片目に百の空のこし
トランクに別の国ある鰯雲
どんぐりの大きく跳ねて感嘆詞
冬立ちにけりゴッホの赤い煙突に
冬雲のかたまり私を呑みにくる
星屑のひとつ落ちたる針供養
前の世に何か忘れて狐啼く
数の子の寂しきひかり噛んでゐる
女人高野ショールに鬼を隠らせて
春よ来い狐の耳が濡れてゐる
人吊らされてゆく朧夜のエレベーター
物の怪が雛の灯ゆらし遊びたる
比良八荒スリッパ赤に履き替へて
マフラーの黒に棲みたる天の邪気
朧夜のわたしを捜してゐる私
過去の扉を開けて桜に逢ひにゆく
四月一日お仏壇が東京へお引つ越し
モディリアーニの首に春蚕の糸を吐く
ふらここに父蹴り母蹴り虚空かな
かげろふに奪はる都をどりの妓
この部屋の死角に棲みて浮いて来い
遠雷や兵士が呼んでいるやうだ
氷レモン体の奥に時差のあり
教会の灯へまぎれ込む梅雨と嘘
五月五日しんしんと青い山がある
走っても走っても大夕立の向かふ側
一匹の黒い金魚を飼うて夏
生き霊に添ひ寝されてるハンモック
炎昼の柩より影起きあがる
過去といふページを抜けて簾かな