タイトル:九羽の白鳥 とりどり日記

2024/11/1 蓮田のひとこま

秋の渡りのシギチに会いたくて何度か足を運んだ蓮田地帯。セイタカシギには、ほぼ毎回出会うことが出来た。最初の時は、三羽であったが、多いときには、7羽のセイタカシギに出会っている。

鳥見を初めて間もないころ、干潟で出会ったセイタカシギの飛翔シーンと鳴き声が懐かしく思い出される。あの頃は、田んぼでセイタカシギに出会うことは皆無であった。今、蓮田でセイタカシギに出会うことは、決して珍しいことではない。このどかな光景がいつまでも、いつまでも見られる見られるよう心から願っている。

2024/11/2 蓮田のひとこま

蓮田地帯での出会いの楽しみは、もちろんシギチとの出会いである。今季、色々な出会いがあったが、コアオアシシギをゆっくり見る機会がなかった。

暗い空模様の日であったが、蓮田地帯で動くシギの群れは、コアオアシシギで何とも胸弾む思いがしたのである。コアオアシシギは、可憐な少女のイメージで大好きである。一羽のコアオアシシギがゆっくり羽繕いする風景は、心に残るものであった。

2024/11/3 蓮田のひとこま

蓮田地帯での出会いは、シギたちとの出会いが何と言っても楽しみである。少し前の出会いからの紹介になるが、この日、嬉しいことにツルシギとアカアシシギに出会った。両種ともよく似た印象で、鳥見を始めた頃には、その違いが分からなかった。今でこそ、その違いが分かり、両種に同時に出会えたことに感謝である。

蓮田地帯は、これから越冬のシギチを迎えることになるであろう。また、足を運んでみたいものである。

2024/11/4 蓮田のひとこま

秋の渡りのシギチに会いたくて何度か足を運んだ蓮田地帯。ツルシギ、アカアシシギ、セイタカシギ、アオアシシギなどのほかにカモ類にも出会った。

そのひとつがハシビロガモである。シャベルのような独特の嘴には、心惹かれるものがあり、大好きである。

2024/11/5 蓮田のひとこま

大好きな蓮田地帯で嬉しい出会いが待っていてくれた。久しぶりのクサシギとの出会いである。地味で目立たないシギであるが、私は大好きである。はじめ、距離があったので、気が付かなったが、ゆっくり広い蓮田を動く姿にドキドキしながらレンズを向けたのである。

久しぶりのクサシギとの出会いに感謝である。

2024/11/6 蓮田のひとこま

蓮田地帯での出会いの楽しみは、大好きなシギたちとの出会いである。土手のところに車をとめて蓮田を見下ろしたところ、水面に映る鳥影が目に入った。私は、かなり目が悪く遠方を見るのがなかなか大変である。その私の目に入った鳥影は、タシギであった。

水面に映った鳥影を見つけ、撮影に至ったのは、初めてである。何とも嬉しい胸弾む出会いであった。

2024/11/7 モズ

どこからともなく聞こえて来るモズの高鳴き。久しぶりに聞く甲高い声である。湖畔に佇んでいた私は、辺りを見渡して見た。ほぼシルエット状に見える小ぶりの鳥。紛れもなくモズである。

右を向いたり、左を向いたり、モズは、一生懸命鳴いている。季節を感じさせるモズの高鳴きであった。

2024/11/8 シジュウカラガン

近郊の沼にシジュウカラガンが飛来しているとのことで、フェースブックやブログなどがにぎわっている。恐らくゆっくり滞在することだろうとのんびりしていたが、曇りがちの日に出かけてみた。到着時は、陸に上がって休憩中であったが、目を離したすきに飛び立ち、湖面で眠ったりゆったり泳いだりし始めた。これ以上の変化は、ないであろうと思い引き上げたが、久しぶりにみるシジュウカラガンは、なかなか美しかった。

2024/11/9 クサシギ

秋の渡りのシギチに会いたくて何度か訪れた蓮田地帯。車からの観察だけであったが、思いがけず、色々な出会いに恵まれた。そのひとつがクサシギである。地味で目立たないシギであるが、私は大好きである。ほんのひととき、休憩中のクサシギをゆっくり観察することが出来て満ち足りた気分に浸れたのである。

2024/11/10 タゲリ

晩秋の田んぼで出会いを楽しみにしているのがタゲリである。歌舞伎役者のような顔立ちで人気の鳥である。羽の色がまた美しい。太陽光があたれば、その美しさは、一層際立つ。この日は、残念ながら曇りがちであったので、あまり羽の色が出なかったが、それでもまずまずの色であった。出会いに感謝の一日であった。

2024/11/11 散歩道

久しぶりに近隣をゆっくり歩いてみた。一番目につくのは柿の実。大きいのも小さい柿もいろいろあって、秋の実りを感じて嬉しくなってくる。近くには柚子もびっしり実をつけていた。

ひらひら飛んでいた蝶がとまった。キタキチョウである。足元には、百日草。子どもの頃を思い出して何とも懐かしい。紫色の小さな花は、ヨメナであろう。散歩道は、のどかである。

2024/11/12 カンムリカイツブリ

静かな沼のほとりを久しぶりに訪ねてみた。目的の鳥は、シジュウカラガンであったが、真っ先に目についたのが、カンムリカイツブリである。遠くから見ても白さが際立ち、おそらく、まだ若い個体であろうと思われた。

近づくほどにその白さと幼さが目を引いた。よくよく見れば、若鳥の証ともいえる頚の縞々模様が頸のところに見える。久しぶりの嬉しい出会いであった。

2024/11/13 クサシギ

大好きなシギチに会いたくて、何度か足を運んでいる蓮田地帯。この日、最初に立ち寄った蓮田には、水が程よく入り、ここにシギの姿があれば、素敵な絵になるのにと思わず思ったことであった。

広い広い蓮田をくまなく探して、一羽のシギを見つけた。それは、クサシギであった。おとなしそうな印象のクサシギは、動きもゆっくりであった。何とか緑の水草と共に撮影出来たことにかんしゃである。

2024/11/14 散歩道

近隣をゆっくり歩いてみた。歩くことが少々辛くなって、以前は、日課になっていた散歩も脚が遠のいている。この日、嬉しかったのは、フジバカマを見つけたことである。民家の庭先に咲いていたのだが、ここにアサギマダラが飛来してくれたらと思わず呟いてしまった。

山茶花が垣根になっているところがあり、白とピンクで心和む風景となっていた。白の山茶花には、アヅチグモらしい蜘蛛がいて、それがまた何とも愛らしかった。散歩道は、のどかである。

2024/11/15 散歩道

自宅から車で30分ほどのところに田園地帯が広がり刈入りの済んだ田んぼがあちこちに見えてくる。これから収穫の田んぼもあるが、ほっとする光景である。

ビニールハウスのビニールがすべてやぶれて鉄骨だけ残ったところにチュウサギの姿が見える。ここがお気に入りなのか、ここを通るたびにチュウサギやアオサギなどが羽を休めている。

緑の草が一面に生えているところには、アオサギ。朱色の鉄塔のところには、ノスリの姿。のどかなのどかな田んぼのひとこまである。

2024/11/16 コアオアシシギ

自宅から車で30分ほどのところに田園地帯が広がり刈入りの済んだ田んぼがあちこちに見えてくる。これから収穫の田んぼもあるが、ほっとする光景である。

秋の渡りのシギチに会いたくて何度か足を運んだ蓮田地帯。すでに霜月も半ばを迎え、シギの姿を見る機会も少なくなっている。とは言え、大好きなシギたちに会いたくて行先は、蓮田地帯となる。

この日、嬉しいことに数種のシギたちとの出会いがあった。そのひとつが、コアオアシシギである。幼さの残るその姿には、胸打つものがあり、レンズを向ける手にも力が入ったのだった。

2024/11/17 タシギ

晩秋の蓮田地帯での楽しみは、シギたちとの出会いである。この日の出会いは、タシギであった。二羽のタシギがたっぷり水の入った蓮田で仲良く向き合っているシーンは、ほのぼのと心和むものであった。しばらくゆったりと羽を休めて欲しいものである。晩秋の蓮田のひとこまである。

2024/11/18 オオハシシギ

秋の渡りのシギチとの出会いは、色々楽しんできたが、なかなか出会いの機会がなかったのがオオハシシギである。そのオオハシシギにかなり近くで出会うことが出来た。それも念入りに羽繕いをしているシーンである。オオハシシギの羽の美しさには、心惹かれるものがあり、この日の出会いは、嬉しかった。

2024/11/19 タシギ

晩秋から初冬にかけて蓮田地帯での出会いの楽しみのひとつは、シギたちとの出会いである。この日は、タシギの水浴びシーンを見る機会に恵まれた。念入りに実に丁寧に時間をかけて水浴びする。体についた虫をとったり、羽を綺麗に保つための水浴びと聞く。寒いさなかでも水浴びしているシーンに出会ったことがあった。水浴びは、鳥たちにとって命をつなぐ大切な行為なのかもしれない。

2024/11/20 ツルシギ

秋の渡りのシギチとの出会いを期待して何度か足を運んだ蓮田地帯。車からの観察ばかりなので出会いは限られているのだが、それでも嬉しい出会いがいくつもあって感謝の気持ちでいっぱいである。

この日、帰路の出会いがツルシギであった。黒みがかったツルシギは、遠目には、タカブシギのように見えた。野鳥に関心を持ってこのような出会いを楽しむことが出来るのは、何とも幸せなことである。

2024/11/21 オジロトウネン

何度か足を運んだ隣県の蓮田地帯。ずっと会いたいと願い探していたオジロトウネンに出会ったのは、朝日が眩しい朝の蓮田であった。全部で6羽ほどいたオジロトウネンは、眠ったり採餌したりゆったりとした光景を見ることが出来た。嬉しい嬉しい出会いであった。

2024/11/22 カワラヒワ

以前は、たびたび田んぼに足を運んでいたが、年齢が増すごとに体が重くなり足の痛みもあって、週に一度か二度がせいぜいである。家族の協力もあって鳥見をすることが叶うことに心から感謝である。

いつものように蓮田地帯へ向かう途中、トイレ休憩するところがあり、立ち寄ったところ、青空を背景に二羽のカワラヒワの姿が見られた。しばらくレンズを向けていたが、飛び立つ気配もなく、しばしモデルになってくれたのである。鳥たちとの出会いの少ない中、思いがけない嬉しい出会いであった。

2024/11/23 アオサギ

この蓮田地帯へ足を運ぶようになって何年になるだろうか。おそらく20年近くになることであろう。初めて田んぼに飛来するシギたちに関心を持つようになったのは、珍鳥オオキアシシギとの出会いが縁である。それが、どれほどの珍鳥であるか当時は、知らなかったが、飛来して数日後に行ったので、観察者は、ほとんどいなかった。今では、考えられないことである。

当時、シギたちへの格別の関心はなかったのだが、田園風景が大好きで、いつの間にかシギやチドリの世界にはまっていったのだった。その蓮田地帯を訪れるたびにいつも一羽のアオサギが出向かえてくれる。この日も、まったく警戒心がなく、ゆったりとした姿を見せてくれたのである。警戒心の強いはずのアオサギが、何とも不思議なことである。

2024/11/24 クサシギ

晩秋から初冬へ蓮田地帯の風景も変わってゆく。レンコンの収穫の済んだ蓮田とまだ収穫の済んでいない蓮田では、風景がずいぶん異なるが、一番気になるのは、ネットの張ってある蓮田である。この防鳥ネットにより犠牲になった野鳥は、かなりの数になると思われる。

そのようなことを考えながら車を走らせているとだいぶ前に収穫が済んだと思われる蓮田に差し掛かった。一羽のクサシギがぽつんと佇んでいる。しばらくすると羽を広げ始めた。一瞬の出来事であったが、何とも嬉しい出来事であった。蓮田は、実に静かである。

2024/11/25 蓮田のカモ

少し前のことになるが、秋の渡りのシギたちとの出会いを期待して蓮田地帯を訪れたとき、浮草がいっぱいの蓮田にカモの姿があった。その数、20数羽というところだったように思う。

写真を撮ってそのままになっていたが、今、思い出して見直してみると案外面白い。その中には、シマアジまで姿が見える。コガモとハシビロガモもそれぞれおすまし顔である。季節を感じさせる嬉しい出会いであった。

2024/11/26 沼のほとり

静かな静かな沼のほとり。心落ち着き大好きなところである。あてもなく時折ふらりと訪れる。急に肌寒さを感じるようになって冬の到来を告げるカモたちの姿も見られるかもしれない。そんな思いで出かけてみたが、最初に目に飛び込んで来たのは、カルガモの水浴びであった。

湖面のブルーが美しく、カルガモの緑の翼鏡が初冬の光を浴びて何とも美しい。見慣れたカモであるが、大好きなカモである。しばし、カルガモの水浴びに見入ってしまった。沼のほとりは、静かである。

2024/11/27 公園のひとこま

ずっと気になりながら、なかなか訪ねることが出来なかった市内の公園。以前は、足しげく通い、四季折々出会う鳥たちを撮影したものであった。ふくろうを撮影したこともある思い出深い公園である。その公園のさくら山を訪ねてみた。

まず最初に目についたのが、アーコレード。十月桜とも呼ばれているらしい。優しい色合いで、ほっと心和むものであった。日本庭園をさくら山から見下ろす風景は、なかなか美しい。いつも日本庭園の中に入ってながめる光景ばかりであったので、実に新鮮であった。紅葉も始まったばかりのようで、是非、また訪ねてみたいものである。

2024/11/28 沼のほとり

時折訪ねる沼のほとり。大好きな場所である。そろそろヨシガモの姿が見られる時期かと思い出かけてみると予想通り、ヨシガモの姿がいくつか見られて嬉しい限りであった。まずは、ナポレオンハットとして名高いヨシガモの♂の登場である。比較的見えやすいところで水浴びをしてくれたのだが、何分にも私のカメラでは、手振れが多く、ここに登場するには、忍びない。また、後日、場を改めてご紹介させていただきたいと思う。

2024/11/29 沼のほとり

沼のほとりで出会ったのは、ヨシガモの雄と雌。雌は、地味で目立たないが、よく見れば実に美しい。私は、カモ類の雌が好きであるが、特にヨシガモの雌に好意を寄せている。この日、じっくり観察する機会が得られて嬉しい限りである。また、日を改めてゆっくりヨシガモの雌を観察したいものである。

2024/11/30 オナガガモ

大好きな沼のほとりを訪ねてみた。初冬の青空を映して湖面は、清々しい水色である。湖面を覆うようにオナガガモの群れが見える。一羽のオナガガモが、熱心に羽繕いをしているシーンが目に入った。その様子をレンズを向けて追ってみた。静かな静かな沼のほとりのひとこまである。