久しぶりに訪れた高原。カンボクの赤い実や黄色味を帯びたツルウメモドキ、赤いノイバラの実や良く熟したズミ。晩秋の高原には、小鳥たちの喜びそうな実が、あちこちに見受けられる。これから寒さに向かって、これらの実は、貴重な栄養源になることであろう。
高原で見る富士山や遠くの山並みは、実に雄大で、心やすらぐ思いがする。その山並みを背景に姿を見せてくれたのは、ノスリ。アトリは、しきりに地鳴きを披露してくれた。コガラ、ヒガラ、ゴジュウカラ、カワラヒワ、カシラダカ、ベニマシコなども、込み入った枝の奥にわずかに姿を見せてくれた。
思いがけない出会いだったのは、オオモズ。2011年3月、道東で出会って以来である。遥か彼方に現れたオオモズであったが、心に残る嬉しい出会いとなった。
赤く色づいたカエデに晩秋の日差しが降り注ぎ、そこだけが、妙に明るく、温かみを感じる。カサコソと落ち葉を踏みながら、松林に差し掛かると♪ニーニーニー♪と甘えた声。そう、あの愛嬌者のヤマガラの登場だ。
しばらく松林の中を歩くと、アオジ、カシラダカの姿が、チラチラと見え隠れする。苔むして風情のある古木に鳥影が見えた。ミヤマホオジロだ!今季、あちこちでミヤマホオジロが見られていると聞く。思いがけない嬉しい出会いであった。
氷雨が降り続いた後の太陽は、何とも嬉しい。青空が広がり、わずかに残った桜並木の紅葉が、初冬の日差しを浴びて輝いて見える。
霜月の蓮田で出会ったのは、数羽のタシギ。見通しの良い初冬の蓮田で、タシギは、のんびりくつろいでいるかのように見えた。同じ蓮田にいるタカブシギが動き出すと、タシギも少しずつ動き始めた。
氷雨が降っている。霜月も余す所、後わずかとなり、初冬の寒さをヒシヒシと感じるようになって来た。
先日、蓮田で出会ったのは、イソシギ。いつでもどこでも出会えるような感覚で、イソシギに出会ってもレンズを向けることは少ない。しかし、この日、珍しくレンズを向けると思いがけず羽を広げてくれた。イソシギも気を使ったのかもしれない。
♪フィッフィッ♪フィッフィッ懐かしい声が聞こえてくる。晩秋から初冬へと辺りの風景が変わっていく。秋色の葉もハラハラと落ち、あたりは、静寂に包まれている。その静寂の中で聞く♪フィッフィッ♪フィッフィッの声は、何とも懐かしい。
思いがけず聞こえてきたのは、ベニマシコの声だ。木立の天辺に姿を見せた真っ赤なベニマシコ。これから寒さに向かって、しばしば姿を見せてくれることだろう。
まだ陽が上る前、蓮田に向かって車を走らせる。漆黒の世界から、うっすらと赤味を帯び、それが徐々に明るさを増してくると、まるで影絵をみているようで、何とも美しい。田んぼの夜明けが、こんなに美しいと知ったのは、ごく最近のことである。
この日、蓮田では、アメリカウズラシギが、私の到着を待っていたかのように、姿を見せてくれた。
真っ赤に色づいたカエデも、ハラハラと葉を落とし、秋の深まりを感じる公園。晩秋と言うより、初冬という雰囲気に包まれている。
♪ニーニーニー♪ヤマガラの甘えたような声が聞こえて来る。大好物のエゴの実を見つけては、器用に啄み、時折、松の木にとまって辺りを眺め、また飛び去る。その仕草が、何とも可愛らしくて寒い朝でも、心が温かくなってくる。
柔らかい朝の日差しが、松林の中を照らす頃、小鳥たちの声が、あたりに響き渡る。それは、シジュウカラだったりヤマガラ、メジロ、エナガの声だったりする。カエデの紅葉は、少し時期を過ぎたようだ。
松の枯れ葉が、たくさん落ちているところで、何やら動く気配。ビンズイのようだ。地味で目立たない鳥だが、寒さが近づいて来ると、その出会いを心待ちにする。
凍てつくような寒い朝もあったり、ほっと出来るような朝もあったり、本格的な冬に向かって、気ままな天候が続いている。
今月初めに蓮田で出会ったのは、サルハマシギ。最初見た時は、冬羽のハマシギの隣にいて、違和感を覚えるシギとの認識しかなかった。その後、数回、機会があり、間近に見ることも出来たし、時には、オオハシシギと仲良く食事をしたり、ゆったり羽を広げたり色々な場面を見せてくれた。今頃、どこを旅しているのだろうか。また、いつか蓮田で出会いたいものである。
早朝、朝の光がまだ差し始める前に蓮田に向かう。田んぼのあちこちに、うっすらと霜がおり、何とも寒々しい。
蓮田に着くと、いつもは眠っているハマシギが、この日は、せっせ、せっせと食事中。一部のハマシギは、眠っているが、余程、お腹がすいているらしい。朝の光が差し始めると、ハマシギの群れが、次々に到着。蓮田が活気を帯びて来る。そのハマシギの中に、少しお洒落な衣装をまとった1羽のハマシギ。季節で変わるシギの羽は、実に興味深い。
シギ・チの姿を求めて、蓮田や田んぼめぐり。その田んぼで、日々、数を増しているのが、タゲリ。もうひとつ数を増しているのが、ツグミである。近隣の公園では、まだツグミの姿を見掛けていないが、田んぼでは、ずいぶん姿を見掛けるようになった。
♪キィーキキッ♪とツグミの地鳴きが、冬枯れの田んぼに響き渡る。
田んぼや蓮田の光景は、晩秋から初冬へと変わりつつある。それは、寂しさを感じさせるものであるが、そこに降り立つシギの姿には、心癒される思いがする。
この日も、早朝訪れた蓮田で、思いがけず、微笑ましいシーンに出会った。蓮田で休んでいたタシギのところにアメリカウズラシギが姿を見せ、やおら身構え、挑むような姿勢。タシギは、尾羽を広げ、緊張感溢れる体制。華々しい戦いにはならず、朝のひととき、ほんのり心和むシーンであった。
収穫の済んだ蓮田が、一面に広がる様は、何とも殺風景で、寂しいものがある。その蓮田のいくつかに、シギたちが降り立ち、羽を休め、栄養補給していく。すでに南下した個体もたくさんいるが、長逗留しているシギもいる。
そのひとつがアカアシシギである。朝の光が、ようやく蓮田に差し始める頃、よく通るシギの声が蓮田に響き渡る。♪ピョー♪ピョー♪ピョー♪それは、アカアシシギの声だ。今季もまた、越冬してくれるだろうか。
晩秋から初冬へ、田んぼや蓮田の光景は、日々変わって来ている。冬の貴婦人と言われるタゲリが、あちこちの蓮田で見られるようになって来たのも、そのひとつと言えるかもしれない。
霜月の蓮田で出会ったのは、4羽のヒバリシギ。暑い日差しの中で出会ったヒバリシギとは、印象を異にし、昨年の冬、初めて冬羽のヒバリシギを見たときは、一体何者?と思ったほどであった。今季も越冬し、殺風景な冬の蓮田に彩りを添えて欲しいものである。
日の出前から車を走らせ蓮田へ向かう。あたりがうっすらと赤味を帯び、田んぼや周辺の林が浮き上がって見えてくる頃、小さな用水路沿いには、川霧がたち、何とも幻想的だ。晩秋から初冬にかけて、田んぼの光景は、少しずつ変わって来ている。
今季、ハマシギの数が、例年になく多い。蓮田の中で、ハマシギが、寄り添うように集まって眠っている姿は、何とも微笑ましい。そのハマシギの中に、ちょっと変わった色合いのシギがいた。嘴の特徴からサルハマシギのようだ。夏羽から冬羽への換羽中だったので、今頃は、かなり冬羽に近くなっていることだろう。
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真夏の太陽が照りつける頃、蓮田は、青々と大きな葉が辺り一面覆い尽くし、白色やピンクの花が、ところどころに見える。たとえ、その蓮田の中に、鳥がいたとしていも、見えるような状況ではない。その蓮田も、今では、レンコンの収穫が進み、すっかり見通しが良くなった。
初秋から初冬にかけてシギたちは、収穫の済んだ蓮田に姿を見せる。蓮田には、シギたちの好物があるらしい。ツルシギも収穫の済んだ蓮田で、ゆったりとくつろいでいるようであった。
今の時期、田んぼや蓮田で見られるシギ・チで、これから南下すると思われるもの、越冬する可能性の高いものなど入り混じっているが、多彩な顔触れを見ていると、なんとか皆、越冬して欲しいと願わずにはいられない。
アメリカウズラシギは、ずいぶん長逗留である。案外、警戒心も薄いようで、近くで見られることも、しばしばだ。この日、直立不動の姿勢で、真正面の姿を披露してくれた。
四季を通して田んぼめぐりをし、折々の光景と鳥たちとの出会いを楽しむ。その中で、一番関心があるのは、何と言っても春の渡り、秋の渡りのシギ・チとの出会いであろう。今季、7月、8月には、そこそこ見られたものの、9月は、ひっそり。10月に入って賑わいを見せてくれた。
今、霜月の蓮田は、ハマシギが、日々、数を増している感がある。数が多くなれば、仲間同士でも小競り合いが生じる。些細なことでの、揉め事であろうか。私の目から見れば、微笑ましいひとこまなのだが。
寒さに向かって、出会いを楽しみにしているシギの一つが、オオハシシギ。馴染みの蓮田に、ほとんど毎年、姿を見せてくれる。今季は、どうだろうかと心配していたが、日々、数を増し、ずいぶんたくさんのオオハシシギの姿を見ることが出来る。オオハシシギの羽をじっくり見ていると、個体によって色々で、シギの羽の美しさを改めて思う。
神無月に引き続き賑わいを見せている蓮田。数を増しているのは、何と言ってもハマシギであろう。訪れる時間がいけなかったのか、いつも眠ってばかりだったハマシギだったが、ようやく50羽ほどの群れで飛び交うシーンを何度か見ることが出来た。それでも眠ってばかりの群れが、他にいくつかあったのだが。
少し離れた蓮田を覗いてみると小さな鳥影が動いている。オジロトウネンだ!小さいので、距離があると見つけにくい。しばらく会っていなかったので、何だか懐かしい思いがした。
田んぼのシギ・チも気になるが、近隣の公園や林、川沿いの道など冬を間近に控えて、気になる時期となった。ジョウビタキやベニマシコ、アトリやトラツグミなどポツポツと姿を見せているようである。
気になっていた公園を久しぶりに訪ねてみると♪ニーニー♪と甘えた声が聞こえて来る。ヤマガラがエゴの実を何度も何度も啄みに来ているのだ。しばらくすると、今度は、アトリが3羽、近くのカエデの木に飛んで来た。今季、初めての出会い。これから数を増してくれるだろうか。
10月半ばに、タゲリ飛来の報を耳にしたが、なかなか出会いの機会が巡って来なかった。相変わらず、シギ・チの姿を求めて蓮田や田んぼめぐり。いくつかの蓮田を回っているとき、10羽ほどの鳥影。探し求めていたタゲリである。
タゲリが横一列に並んで、お休みモード。しばらく様子を見ることにして、じっくり観察。水浴びするタゲリも出てきたが、光線の具合が今ひとつで、なかなか金属光沢が出ない。しかし、出会えたことに感謝である。
暑さが始まる頃から淡水系シギ・チの秋の渡りが見られるようになる。かつては、その時期を迎える準備段階として休耕田探しをしたものだったが、ここ数年、休耕田は、皆無に等しい。この夏、シギ・チが集まったのは、田んぼでも蓮田でもなく、干拓地の水溜りであった。
7月、8月は、そこそこ見られたシギ・チだが、9月は、低調。10月に入って蓮田が賑わい始めた。その中で情報を頂きながら、なかなか縁がなかったのがヒバリシギである。神無月の蓮田では、縁のなかったヒバリシギ。霜月に入って、ようやくヒバリシギ2羽の姿を見ることが出来た。
9月が低調だった田んぼのシギ・チ。10月に入って賑わいを見せ、11月に入っても、なかなかの賑わいぶりで、ハマシギは、かなりの数にのぼっている。蓮田を訪れる度に眠っているハマシギだが、いつか群飛を見たいものである。
ハマシギが多数いる蓮田でコアオアシシギに出会った。全部で3羽。数は、多くないが、白さが目立ち、蓮田の奥の方にいても、その存在を知ることが出来る。ひっそりと優しいイメージのシギで、私の好きなシギのひとつである。
11月とは思えない暖かい日差し。リビングの窓を開け放して秋の空気を部屋いっぱいに取り入れる。♪ヒッヒッヒッ♪聞き覚えのある声が、遠くに聞こえた。空耳だろうか。そう思ってみたのだが、その声が、だんだん近づいて来る。
もうビックリ!!!何とベランダのムラサキシキブ(コムラサキシキブ)にジョウビタキがとまった。庭のない我が家では、狭いベランダにわずかの植栽があるだけ。もちろんジョウビタキの訪問は、初めてである。心弾む嬉しいひとこまであった。
収穫の済んだ蓮田は、冬への準備とでも言うような光景で、何とも寂しいものである。その蓮田で動く鳥影。タカブシギやタシギ、イソシギなど馴染みの顔を見かけるとほっとする。
そんな殺風景な蓮田で、時には、嬉しい出会いも待っていてくれる。久しぶりの出会いのアメリカウズラシギだ。それも2羽。付かず離れず、2羽のアメリカウズラシギは、蓮田の中を歩き回り、熱心に採食中。蓮田も、日々、秋が深まって行く。
初めてホシムクドリに出会ったのは、2006年3月のことである。情報を頂いて出向いたのが神奈川県。川沿いの道を「どんな鳥かな?」と思いをめぐらして足取りも軽く歩いたものであった。
次に出会ったのが、鹿児島県。2008年1月のことである。このとき小さな声でホシムクドリが囀るのを聞いた。メタリックな色が心に残っている。
茨城県では、数回出会っている。今回、初めて蓮田に降りているホシムクドリを見た。大きな口を開けて熱心に食事をする様を間近に見たのは初めてのことである。
なかなか出掛けられなかったが、久しぶりに田んぼや蓮田を回ってみた。刈田には、あちこち二番穂が見られ秋の深まりを感じる。目の前をサッと飛んでいったのは、チョウゲンボウ。少し離れたところの電柱にとまった。
蓮田も収穫が進み、ずいぶん見通しが良くなってきた。手前の方にタカブシギが静かに佇んでいる蓮田をゆっくり観察しているとその奥の方で動く鳥影。何とホシムクドリだ。かなり食欲旺盛で一心に食事中。久しぶりの出会いであった。
今季、杜鵑類の飛来が多かったようで、ツツドリが長期に渡って見られているようである。今日は、もう霜月を迎えたというのに、近隣の公園や沼周辺での目撃情報を耳にしている。また、アオバズクが見られているところもあるという。これは、地球温暖化の影響だろうか。
少し前に出会ったツツドリだが、長い間、見通しの良い桜の木にとまり、さっと飛び立って行った。あれは旅立ちの合図だったのだろうか。来季もまた、訪ねて来て欲しいものである。